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コーセーが量子コンピュータで生成するクレンジングオイル処方、その先進性

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株式会社コーセーは、量子コンピュータと従来型コンピュータを組み合わせたハイブリッド型アルゴリズムを活用した、化粧品処方を高速で自動生成するシステムの開発を推進してきた。2023年1月には、角栓の除去能力の高さを目標品質としたクレンジングオイル処方を自動生成することに成功。将来的に他の剤型などにも適用範囲を広げていくとしている。開発に携わった同社先端技術研究室に所属する担当者に量子コンピュータの実用化を目指す背景と展望について聞いた。

量子コンピュータを化粧品開発に組み込んだ最先端研究

既存のコンピュータを大幅に上回る超高速で情報処理が行えるとされ、産業界からの期待と注目が集まる量子コンピュータは、簡単にいえば、物質を構成する原子や電子など量子の持つ性質を利用し演算をする。つまり、既存のコンピュータが古典物理学をベースに大規模な物体や力学的な現象をもとに情報処理をするのに対して、量子コンピュータとは、もつれ(entanglement)や重ね合わせ(superposition)など、量子力学的な物理状態を用いて高速計算を実現する新たなタイプのコンピュータだ。

量子コンピュータを処方自動生成に活用した例

既存コンピュータは、0と1のビットを使って情報を表現するが、量子コンピュータは量子ビット(qubit)と呼ばれる量子力学的な現象を利用して情報を表現し、ある特定の問題に関してであれば、既存コンピュータよりも圧倒的なスピードで、かつ効率的に解くことができる。言い換えるなら、投げかける「問題(コンピュータに計算・算出して欲しいテーマ=問い)」が量子コンピュータの得意な種類のものであれば、スーパーコンピュータが1万年かかる演算を、3~4分で終えることができるともいわれている。

ただし、量子ビットの状態は外部のノイズや干渉が作用しやすく敏感に影響されるため、エラーの発生率が高く、その制御や計測には特殊な技術が必要となる。現段階では量子コンピュータは決して万能ではなく、むしろ極めて限定的で、ビジネスの各領域で実用化が期待されているものの、まだ具体的な活用事例はほとんど見当たらない。そのため、量子コンピュータはすなわち、「夢の次世代技術」という認識が一般的だ。

そのような状況下で、今回コーセーは、化粧品の処方生成システムに量子コンピュータを組み込み、具体的な成果をあげたことを発表。“夢の計算機”である量子コンピュータの活用を現実にたぐり寄せた。開発を担当した株式会社コーセー 研究所 先端技術研究室 主任研究員 中村理恵氏は、今回の取り組みの詳細について次のように説明する。

株式会社コーセー 研究所 先端技術研究室 主任研究員 中村理恵氏
プロフィール/2005年に同社入社。品質保証、製品開発、皮膚科学といったさまざまな研究分野を経て、現部署の新規立ち上げに尽力。2022年に総合研究大学院大学にて博士号(統計科学)を取得。独自のデータ研究から、顔写真から未来のシワレベルを予測するサービスを開発し、同社のWEBサービス「KOSÉ HADA mite」に実装。2022年からは、主任研究員としてデータ科学にもとづいた研究全体を統括

「今回は処方自動生成システムの適用例として“落とす”ことに着目し、『角栓除去能に優れたクレンジングオイル処方の自動生成』を試みた。角栓は毛穴の詰まりや黒ずみ、ニキビなどの要因のひとつで、シート状のケア商品による物理的な除去や、クレンジングオイルなどで溶解させて除去する方法が知られている。そこで本プロジェクトでは、角栓を溶解させる物性値を角栓除去能として目標品質に設定し、安全に使える原料配合量を制約条件として量子コンピュータに問いを与え、クレンジングオイル処方の自動生成を実施した。その結果生成された処方は、これまでの一般的な処方よりも高い角栓除去能を示しただけでなく、処理に要した時間はわずか数秒だった。量子コンピュータを用いないアルゴリズムと比較して、約900分の1に短縮できた」(中村氏)

処方自動生成システムにより生成したクレンジングオイル処方の効果検証

処方を自動生成するためには、目的を記号化してコンピュータに伝える方法が必要だ。その方法は専門的には「評価手法」、もしくは「評価基準」と呼ばれている。コーセーでは量子コンピュータに目的を伝える評価手法を複数保有しているが、今回の実験で使われたのは「落とす機能」を数値化したものだ。実験の成功により、今後は、量子コンピュータに適した評価手法を用いることで生成したい機能をオーダーし、アルゴリズムが高速計算した結果に対して人間がテストし効果を確かめるという活用フローが見込まれる。

「今回、量子コンピュータが夢物語ではなく、人間と並走できる未来の形を提示できたことが、とても大きな成果だったと捉えている」(中村氏)

加えて、同システム開発プロジェクトは、量子コンピュータ単体ではなく、既存のコンピュータ(以下、従来型コンピュータ)とのハイブリットであるという点も特徴のひとつだ。すなわち、まず量子コンピュータで莫大な処方の候補から絞り込みを行ったのち、従来型コンピュータが絞り込まれた範囲のなかから最適な処方を特定して出力、最後に人間が検証するというプロセスをとった。

化粧品自動処方生成のハイブリッド型アルゴリズムの概要

中村氏と同じく先端技術研究室に所属し、情報統括部マーケティングシステム課を兼任する帯金駿氏は「量子コンピュータはまだ発展途上の技術。扱える問題の規模に現状では限界がある」としつつ、両コンピュータを組み合わせた理由について説明する。

株式会社コーセー 研究所 先端技術研究室 兼 情報統括部 マーケティングシステム課 帯金駿氏
プロフィール/2020年に同社入社。学生時代のコンピュータビジョンの研究経験を活かし、データサイエンティストとして、社内の研究からビジネス周りまでの幅の広いデータ分析案件に従事。現在、慶應義塾大学理工学研究科の後期博士課程に在学中

「量子コンピュータは発展途上の技術であり、一定の問題に対して優れた演算スピードを発揮するものの、実際の計算においては考慮しておくべき点がある。たとえば、本課題を実際に計算させた際には、1回1回の演算で出てくる答えの質が異なったり、与えた制約条件に従わずに無視した答えを返してくるというケースも見受けられた。従来型コンピュータは、量子コンピュータの不安定さを統制しつつ、実際に人間が使用できる値に修正する役割を担う。現状の量子コンピュータに不足している部分を、従来型コンピュータが補うかたちだ」(帯金氏)

化粧品開発者がインタラクティブに行える環境を達成するために、計算速度を高めることが、コーセーにとっての課題だった。今回のケースでは、従来型コンピュータ単体で望む解を導き出させるには、計算に要する時間や特定の課題に合わせたアルゴリズムをそれぞれ組み立てる必要性があった。一方で、今回は処方生成のための情報を量子コンピュータに合わせて数式として定式化しやすかったため、従来型コンピュータ単体よりも計算スピードを高めることができた。いわば、双方のコンピュータのメリットを上手く組み合わせたことが、今回の処方自動生成システム開発の肝となっている。

未来技術への先行投資が生んだ新たな処方自動生成システム

コーセーが量子コンピュータに投資するきっかけとなったのは、2018年6月に開始したアクセラレータープログラム「コーセーとの共創における Innovation Program」だった。当時、すでに量子コンピュータは、社会や各産業を大々的に変えていく次世代技術として注目されていた。そこでコーセーは、量子コンピューティング企業blueqat株式会社(旧MDR株式会社)と協業することを決定。ハイブリッド量子コンピューティング技術を応用した、独自アルゴリズムの共同開発を推進してきた。

中村氏は「量子コンピュータの研究は、2019年に当社が主催したオープンイノベーションプログラムにて先行投資を決めたことが端緒になった。その後、研究所として何ができるかを具体的に手順化していく段階で、自社内に量子コンピュータに適しており、課題として与えられる可能性の高い情報やデータがたくさんあることが分かってきた。積み上げてきたデータを活用して量子コンピュータを実用化できれば、化粧品のモノづくりを変革できるかもしれない。そんな気づきから、さらなる投資を決めて開発に邁進しているのが現在の状況だ」と、ここ数年にわたる社内での動きを説明する。

また、処方自動生成システムは当初、blueqat社に開発を完全に委託する前提だった。しかし、投資を継続するという決定に伴い、少人数のチーム体制で内製化する方針に転換。現在、blueqat社との連携を維持しつつ、「コーセー社内の力で量子コンピュータを実装できる環境が整ってきた」と帯金氏は話す。

「blueqat社には量子コンピュータを化粧品領域に実装するために支援をいただいている。量子コンピュータの基礎講義や、実際に計算させるための環境づくりがその一環だ。また組合せ最適化問題(計算するべきテーマ)を解くにあたり、量子コンピュータに合わせた課題の出し方から実装まで協力いただいている」(帯金氏)

開発者の意思決定を支援しモノづくりのアップデートを目指す

量子コンピュータ×化粧品処方生成という分野で、大きな成果を出したコーセー研究チーム。生成された処方の機能性は高く、すでに「実際に人を対象とした検証も行い、実用化も可能なレベルにまで漕ぎつけている」(中村氏)。今後は、経営や開発にいかにして量子コンピュータ技術を組み込むかが次のステップとなるが、その際に鍵となるのが社内への「伝え方」だと帯金氏はいう。

「量子コンピュータは複雑な技術であり、その特徴や可能性については、一つひとつ実証を積み上げている段階だ。(専門的なことを)詳しく話してしまうと理解されないことも多く、反対に夢物語のように語っても誤解される。始まったばかりの段階の技術を、社内でどう伝えていくかが大切だ。量子コンピュータに置き換えられる業務フローや、人間が手間をかける必要がないと考えられる作業をまず代替しながら、徐々に量子コンピュータの価値に対する正しい認識を社内に根付かせる取り組みを続けていきたい」(帯金氏)

今回、量子コンピュータの実用化に向けて大きな成果をあげることができた背景には、コーセーのオープンな企業カルチャーも大きく関係している。中村氏は「コーセーには社員個々人の“WILL”を尊重する環境が整っている」とし、「その思いの先にお客さまの幸せや負の解消があるのであれば、チャレンジは奨励され、失敗やリスクに対しても寛容だ。精神的な安全性が確保されているからこそ、夢を現実に変える挑戦が続けられる」と話す。

帯金氏もまた「化粧品は機能面だけではなくて、感性面などさまざまな要素を考慮しなければならない商品だ。なので、処方生成システムのレベル感を上げても、算出された処方が実際にダイレクトに製品化されることはないだろう」と語る。それよりも、むしろ化粧品開発者にヒントとなる情報を与え、意思決定を支えるシステムとして発展させていくほうが理想的な姿だという。

「量子コンピュータはいわば、人間のモノづくりの能力をアップデートする新たなパートナーだ。量子コンピュータを使った処方生成技術の開発は始まったばかりで、何ができて、何ができないのかは手探りで見出していくしない。それでも、今回の成果を自信として、失敗を恐れずに粘り強く挑戦していきたい」(帯金氏)

Text: 河 鐘基(Jonggi HA)
画像提供: 株式会社コーセー
Top Image: Bartlomiej K. Wroblewski via Shutterstock

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