アモーレパシフィックジャパン代表が語る、日本市場へ「信頼感」を軸にしたアプローチ
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1945年創業のアモーレパシフィック(AMOREPACIFIC)は、ETUDE、innisfree、LANEIGEなど人気ブランドを抱え2021年にWWDが発表した「世界のビューティー企業TOP100」では13位のグローバル美容企業だ。同社は今、日本市場をどのように捉え開拓しようとしているのか。同社の日本法人であるアモーレパシフィックジャパン株式会社 代表 松井理奈氏に話を聞いた。
社員第1号から日本法人代表に。松井氏が歩んだキャリア
――アモーレパシフィックジャパンの社員第1号と聞いているが、その経緯はどういうものだったのか
松井氏(以降省略):大学生の時に韓国の梨花女子大学校に留学し、韓国語を使う仕事に就きたいと考えていた。周囲の学生と比較して就職活動の開始が遅かったこともあり、当初は思うようにいかなかったが、偶然が重なって1999年にアモーレパシフィックジャパンの前身の太平洋ジャパン株式会社に就職する縁をいただいた。
当時、アモーレパシフィックは海外輸出は行っていたものの、戦略的・マーケティング的にグローバル市場に積極的に打って出る時期ではなく、会社としても手探りの状態だった。
――その後、松井氏はどのようにキャリアを歩んだのか
2005年2月にアモーレパシフィックジャパンが設立され、太平洋ジャパンから転籍する形になった。アモーレパシフィックジャパンは、アモーレパシフィックブランドの日本ローンチや運営を主な目的として設立された会社だ。私は登記簿をコピーしたり、オフィス家具を揃えたりと、日本法人がまだまっさらだった状態から関わるようになった。
2008年4月にユニリーバ・ジャパン株式会社に転職したが、2013年にイニスフリー(innisfree)事業部創設の際に再入社した。当時イニスフリーはオンライン事業のみの立ち上げだったが、間もなく撤退し、2018年に再上陸している。イニスフリーの撤退後、エチュード(ETUDE)事業部が苦戦していたため再建する方針が出され、2014~18年に同事業部でキャリアを積むことになった。エチュードの売上においては、2015年を起点に売上を伸ばし、2014年と2018年の売上比は3.3倍、一店舗あたりで2.5倍と大きく伸長させたことなどを評価してもらったと思っている。
その後、2019年からは韓国系食品企業 CJ FOODS JAPAN株式会社に転職しマーケティング部長として従事した。化粧品とは異業種で有意義な経験をさせてもらったが、コロナ下で古巣であるアモーレパシフィックの将来を考える時間が増えた。改めて話をいただき、2020年12月に再々入社。エチュード事業部長を経て2021年6月から法人長(日本法人の代表)に任命された。
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