エストニア発の肌解析スタートアップHaut.AIによる匿名化技術はパラダイムシフトとなるか
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エストニア発の肌解析SaaSを開発するスタートアップHaut.AI が2018年の設立以来、急成長をとげている。2023年4月には肌の状態をモデル化する生成AI技術「SkinGTP」をリリースし、2024年10月には顔画像の匿名化技術である「Skin Atlas」で特許を取得したと発表し、注目を集めた。Haut.AIの技術はなぜ革新的なのか。その理由をひもとく。
精緻な肌解析と、その結果による製品レコメンドが可能なSaaS
Haut.AIは、ブランドや小売店向けに肌解析プラットフォーム「Skin Analysis SaaS」を提供している企業だ。ユーザーが自撮り画像をアップロードすると、AIが150以上の顔のバイオマーカーから15以上の肌の健康状態を分析し、その解析結果にもとづいてユーザーの肌タイプや肌悩みに応じたスキンケア製品のレコメンドを行う。ShopifyなどのECプラットフォームとも連携可能で、ブランドはコーディング不要で導入できる。
このアルゴリズムを支えるのが、300万枚以上の画像や、合成データを含む数十億を超えるデータポイントなどのさまざまな人種の肌に対応する多様性のある皮膚データ、グローバル規模のスキンケアアイテムの成分データである。2022年には米国最大手の美容小売、アルタビューティ(Ulta Beauty)との戦略的パートナーシップを締結。ドイツの老舗スキンケアブランド バイヤスドルフ(Beiersdorf)との提携も実現している。どちらも、契約研究機関のような位置づけで、購買体験の向上から新商品のテストといったR&D領域で同社の技術が活かされている。
創業者兼CEOのアナスタシア・ゲオルギエフスカヤ(Anastasia Georgievskaya)氏は、バイオエンジニアリングと生物物理学を学んだのち、同社を2018年に創業。当初はスキンケアの試験機関向けの臨床研究用のソフトウェアを開発していた。そのときにゲオルギエフスカヤ氏が抱いた疑問が、現在のサービスにつながっている。それは、臨床データではスキンケア製品で肌が大きく改善することが科学的見地から示されているにもかかわらず、エンドユーザーである消費者はスキンケアに対してあまり効果を実感していないというギャップがあることだった。
ゲオルギエフスカヤ氏は、この状況は消費者が自分の本当の肌を理解しておらず、かつ、自分の肌に合った製品を選ぶ基準も持ち合わせていないために起こると考えた。つまりそれはミスマッチの問題で、ユーザーが自分の肌を正確に知り、それに合う化粧品をマッチングする仕組みをAIで実現すれば、化粧品が持つ機能性が発揮され、消費者とブランドの両方に利益をもたらすと思い至ったと、2024年4月に仏パリで開かれたin-cosmetics Globalのインタビュー動画で語っている。
「SkinGPT」と、プライバシー保護技術「Skin Atlas」の先進性
同社の技術をさらにユニークにしたのは、2023年4月にリリースされたSkinGPTだ。同社のSaaSの機能を飛躍的に向上させ、ARバーチャルメイクのいわばスキンケア版ともいえる体験を可能にした。ユーザーが自撮り画像をアップロードし、肌解析だけでなく、ある特定のスキンケア製品を使用した場合に時間の経過とともに肌がどのように変化するのかのシミュレーションができる。つまり、ある製品をたとえば1年使ったあとの肌をバーチャルトライオンとして表示できるわけである。
さらに、2023年4月には、Skin Atlasという肌データの匿名化技術で米国特許を取得したことを発表し、これがプライバシー保護の観点から業界内で大きな注目を集めた。このSkin Atlasは、ユーザーがアップロードした画像から、目や髪、背景などの個人が特定されやすい詳細情報を完全に分離する匿名化技術と、そこから解析に十分な肌状態データを抽出するアルゴリズム、そして、GDPR(EU一般データ保護規則)に完全準拠した暗号化技術の3つが組み合わさったものだ。
この技術が注目された背景には、世界各国で頻繁に発生しているデータ漏洩がある。美容業界でも、2018年12月にはセフォラ(Sephora)の 顔認証データの利用に関する透明性の欠如と同意プロセスの不備が指摘され、訴訟問題へと発展した。
顔認証もさることながら、肌データも、年齢や生活習慣、さらには健康状態まで示唆する可能性を秘めている。そのため、データ漏洩は深刻なプライバシー侵害につながりかねない。実際、美容業界では「パーソナライズとプライバシー保護の両立」という課題に直面してきた。より精度の高い提案のためにはデータ活用が不可欠だが、このセフォラの訴訟問題のように、データの取り扱いを誤れば企業価値を大きく毀損するリスクがある。そのはざまで、どのようにデータを取り扱えばよいのかを各企業が模索してきた。
たとえば、ARバーチャルメイクアップや肌分析ツールをブランド向けに提供し、膨大な肌データを扱うPerfect Corp.は、各国の認証や保護スキームに準拠することで業界の標準化に貢献している。同社の「YouCam Makeup」を含むサービス群は、ISO/IEC 27001:2013の認証取得や、中国公安部のマルチレベル保護スキーム(MLPS)2.0準拠といった厳格なセキュリティ基準を満たしている。
消費者も自身のプライバシーデータがどう扱われているかをしっかり確認することが当たり前になってきている時代に、サービス提供側がこうしたセキュリティ基準を満たすのは当然の流れながら、Haut.AIのSkin Atlasの匿名化技術が示しているのは、そもそも個人を特定できる情報を持たないという新しいアプローチだ。
またこの匿名化技術が、分析の質を落とすどころか、むしろ高める結果となっていると同社が説明している点にも注目しておきたい。まず、目や唇、眉毛といった顔の特徴を除去しても結果にエラーが生じないよう、必要に応じて肌の質感を生成するAI技術を組み込んだ。また、髪や背景など、肌分析に役立たない情報はむしろ分析速度を低下させることに気づいたHaut.AIのチームは、肌だけに焦点をあてることで分析時間を短縮し分析精度を向上させたという。
個人データ保護アプローチのパラダイムシフトとなる可能性
ブランド側は、この個人を特定できない匿名化された肌データをパーソナライズされたサービスだけでなく、製品が肌に与える影響の特定と評価といったR&Dの現場にも使用できる。同時に、従来発生していた個人データの同意を得るためのコスト、データの管理コストも低減できる可能性がありそうだ。
これまで、消費者の不安とますます強化される規制に対して、強固な守りの体制をとってきた美容業界のデータ保護問題に、「そもそも個人を特定できる情報を持たずにパーソナライズサービスを構築する」という大きなパラダイムシフトが起きたといってもいいだろう。2025年はさらに多くのブランドや小売店がHaut.AIのSaaSプラットフォームの利用に関心をもつことが予想される。今後、Skin Atlasの技術がライセンス提供される可能性や、Skin Atlasにインスパイアされた他企業によって異なるアプローチの匿名化技術が誕生するなどで、Skin Atlasのようなコンセプトの技術が業界標準となっていく可能性もある。
Haut.AIでは、同社の研究開発の方向性からも明らかなように、美容領域を超えた展開も視野に入れており、肌データと健康管理の連携や、予防医療への応用など、新たな価値創造にも突き進んでいる。
Text:秋山ゆかり(Yukari Akiyama)、BeautyTech.jp編集部
Top image: Haut.AI 公式サイト